2020年3月7日土曜日

姜維の北伐について

姜維の北伐が始まる253年前後の魏の状況は
249年 高平陵の変
251年 王凌の乱
254年 司馬師暗殺未遂 →曹芳皇帝廃立
255年 毌丘倹の乱
257年 諸葛誕の乱
260年 曹髦皇帝暗殺
と、どう見ても侵攻の好機。

253年正月の宴で費禕が暗殺、同年4月には姜維が北伐を開始する。北伐の計画は費禕の生前から進んでいたとしか思えない。

238年に蒋琬が開府を命じられた時には「公孫淵の乱に呼応して北伐せよ」という詔が出ている。252年の費禕開府も「魏の内乱に呼応して北伐をする」という意味合いのものではなかったか。

費禕を暗殺した郭循という人物は魏からの降将で、3年間蜀に仕えて左将軍の地位にあった。
北伐派姜維 vs 内治派費禕 という構図が事実なら、郭循もそのことは理解していたはずで、費禕を斬れば姜維が北伐始めることも予測できたはず。


0 件のコメント:

コメントを投稿