2020年3月22日日曜日

昭和十八年度戦時艦船建造及び航空兵力拡充に関する件協議

昭和18年4月 軍令部次長より海軍次官あてに行った新戦備計画の協議

1.艦艇建造補充
高速輸送艦 32隻
潜水輸送艦 19隻
魚雷艇 480隻
海防艦 330隻
哨戒特務艇 390隻
潜水艦(中) 50隻
を、昭和18年度から着手しおおむね20年度末までに完成する。この計画実行のため既定計画について建造取りやめ又は延期の修正を行う。

2.陸上防備兵力
次の兵力を昭和20年度末までに整備する
(1)内戦部隊
防空砲台 400
機銃砲台 80
防空壕 120
規定計画の防備衛所促進
(2)外戦部隊
防空大体 120
防備隊 15
特別陸戦隊 5
通信隊 5
気象隊 3
測量隊 3
潜水基地隊 3
設営隊 80

筆者注 本計画の発足に伴いマル6計画は消滅したもののようである

出典:戦史叢書88巻 海軍軍戦備<2> p.3-4

2020年3月21日土曜日

戦時標準船建造量

戦時標準船建造量一覧
船種単船総トン数竣工隻数竣工総トン数
貨物船
1A6400t9隻57600t
1B4500t16隻72000t
1C2800t38隻106400t
1D1900t20隻38000t
1E829t14隻11600t
1F538t24隻12900t
小計121隻298500t
鉱石船K5400t20隻108000t
油槽船
1TL10000t22隻220000t
1TM5200t26隻135200t
1TS1020t5隻5100t
小計53隻360300t
合計194隻766800t
船種単船総トン数竣工隻数竣工総トン数
貨物船
2A6600t116隻765600t
2D2300t84隻193200t
2E870t417隻362800t
小計9770t617隻1321600t
油槽船
2TL10100t30隻303000t
2TM2800t37隻103600t
2ET830t148隻122800t
小計215隻529400t
合計832隻1851000t
船種単船総トン数竣工隻数竣工総トン数
貨物船3A7200t4隻28800t
3B4900t1隻4900t
3D2900t3隻8700t
3E870t24隻20880t
小計32隻63280t
油槽船3TL10200t3隻30600t
小計3隻30600t
合計35隻93880t

船種合計隻数合計総トン数
貨物船
A129隻852000t
B17隻76900t
C38隻106400t
D107隻239900t
E455隻395280t
F24隻12900t
小計790隻1683380t
鉱石船K20隻108000t
油槽船
TL55隻553600t
TM63隻238800t
TS5隻5100t
ET148隻122800t
小計271隻920300t
合計1061隻2711680t

終戦時未完成の船腹量(総トン数)
進水済み119000t
船台工事中120000t
材料準備済み未起工5000t
工事中止中 進水済み30000t
船台上90000t
未起工7000t
合計371000t
出典:戦史叢書88巻 海軍軍戦備<2> 開戦以後 p.420

2020年3月14日土曜日

昭和十六年度戦時艦船建造及び航空兵力拡充に関する件商議

実際には真珠湾攻撃の前にすでに日本は戦艦建造をほぼあきらめている。
戦史叢書31巻 海軍軍戦備 http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=031#
のp.834 には日米開戦前月の軍令部総長から海軍大臣への商議で
「兵力整備の緩急順序を概ね左の通りとす
1.航空機
2.潜水艦
3.航空母艦、防備艦艇(海防艦を含む)
4.駆逐艦
5.飛行艇母艦、運送艦
6.巡洋艦
7.戦艦、大型巡洋艦
8.その他の艦艇」
とある。戦艦の優先順位は8段階中下から2番目。
戦前の時点で帝国海軍はすでに次の戦争を航空機と潜水艦で戦うつもりでいた。
実際には当時最も大艦巨砲主義から遠い海軍は帝国海軍だった。


ミッドウェイ海戦後の日本の空母建造状況

海戦前から建造中・改造中のもの 3隻 
飛鷹 龍鳳 大鳳

海戦後新規起工したもの 6隻
雲龍 天城 葛城 笠置 阿蘇 生駒

海戦後に空母化改造着手したもの 7隻 
千歳 千代田 冲鷹 神鷹 海鷹 信濃 伊吹 

艦型艦名予定完成年月竣工年月日
第302号艦型
(雲龍型)
雲龍1944年9月1944年8月6日
天城1944年12月1944年8月10日
葛城1945年3月1944年10月15日
笠置1945年6月進水後工事中止
阿蘇1945年9月進水後工事中止
生駒1945年10月進水後工事中止
他8隻建造取りやめ
第110号艦(信濃)1944年12月1944年11月19日
第130号艦(大鳳)1944年6月1944年3月7日
第130号艦改型5隻建造取りやめ
飛鷹型出雲丸1942年7月1942年7月31日
龍鳳型大鯨(龍鳳)1942年10月1942年10月30日
海鷹型あるぜんちな丸(海鷹)1943年7月1943年11月23日
海鷹型ブラジル丸1944年3月改造取りやめ
大鷹型新田丸(冲鷹)1942年11月1942年11月25日
神鷹型シャルンホルスト(神鷹)1943年7月1943年11月15日
千歳型千歳1943年7月1944年1月1日
千歳型千代田1943年12月1943年10月31日

出典 戦史叢書88巻 海軍軍戦備<2> 開戦以降
p.19-20

2020年3月7日土曜日

姜維の北伐について

姜維の北伐が始まる253年前後の魏の状況は
249年 高平陵の変
251年 王凌の乱
254年 司馬師暗殺未遂 →曹芳皇帝廃立
255年 毌丘倹の乱
257年 諸葛誕の乱
260年 曹髦皇帝暗殺
と、どう見ても侵攻の好機。

253年正月の宴で費禕が暗殺、同年4月には姜維が北伐を開始する。北伐の計画は費禕の生前から進んでいたとしか思えない。

238年に蒋琬が開府を命じられた時には「公孫淵の乱に呼応して北伐せよ」という詔が出ている。252年の費禕開府も「魏の内乱に呼応して北伐をする」という意味合いのものではなかったか。

費禕を暗殺した郭循という人物は魏からの降将で、3年間蜀に仕えて左将軍の地位にあった。
北伐派姜維 vs 内治派費禕 という構図が事実なら、郭循もそのことは理解していたはずで、費禕を斬れば姜維が北伐始めることも予測できたはず。